2014/05/28

プリースト



吸血鬼と人間が長い間戦争をしている、人間は勝利したが戦禍により荒廃した近未来的な世界。かつ教会が世界を支配ているという悪夢のような世界。主人公はプリーストと呼ばれる厳しい訓練を受けた対吸血鬼用のリーサルウェポン。現在、プリースト達は戦争も終わり、不要となったが、強力なので恐れられ冷遇されている。そこに実は吸血鬼が生き残っていて戦うという物語。
ビジュアルはかっこいいが、全体的につまらない映画、印象しか残らない映画。
理由は色々チグハグだからだ。

まず冒頭にプリースト達が敵のクィーンを倒すために敵地に奥深く潜入するが、敵が多すぎて逃げ出す、そして仲間が一人捕まってしまう。そこからこの世界のことを説明するアニメが始まり冒頭で書いたことを説明する。そしてアニメ後、戦争は終わった状態になっている。
だがこっちはプリーストが散々になり逃げ出したところしか見てないので、戦争が終わった感もないし、プリーストが強い感も全くないので、冒頭のシーンと世界の説明のアニメにズレがある。

プリースト達は戦後、強力な力を教会から疎まれ部隊は解散し、まともな職にもありつけず、世間から爪弾きにされて生きている。まるでベトナム帰還兵のように。
とはいえプリースト達の力は特殊な訓練を受けたとかいうレベルではなく、まさに超人。完全に人間を超えている。
そんな超人を野に放り出し、社会全体で差別し冷遇したら、反乱でも起こすと考えるのが普通だと思う。しかもプリーストに対向する手段がない。
だったら普通は教会の中で、不満がないように面倒をみて監視するような、飼い殺しにするのが矛盾がないと思う。

主人公のプリーストは主に富裕層が暮らす安全な街に住んでいる。しかしある日、西部時代のような郊外に住んでいる兄夫婦がヴァンパイアに襲われその娘がさらわれたと聞き、娘を探すために探しに行く許可を教会に求める。教会はヴァンパイアは絶滅したという認識なので、プリーストの訴えを退け、救出に行くことも禁止する。が、プリーストはヴァンパイアはいると主張し教会の制止をを振り切ってたびに出る。教会はプリーストを破門にし、他のプリースト達を追手に差し向ける。
教会は頑なにヴァンパイアの存在を信じない、だが頑なすぎる。そしてそれに理由がない。最初はなんの証拠もないのだから当然かも知れないが、最後、明白な証拠を見せられても拒否する。
ただ単に主人公の障害にしたい理由だけでヴァンパイアの存在を否定しているだけなので、見ていてその拒否に説得力がない。

この映画ヴァンパイアの設定は特殊だ。ヴァンパイアは目玉のないエイリアンのような出来損ないのような見かけの生物で、人間の血を吸い日光に当たると恐らく死ぬ。
人間は噛まれるとファミリア(使い魔)という吸血鬼の下僕のような存在になる。このファミリアの存在がわかりづらい。外見は坊主で眼の色が青く光っているくらいで、ほぼ人間。血を飲むわけでもなく日光も問題ない。鶏を屠殺していたので恐らく食事等も含めほぼ人間。中には進んでなりたがる人間もいるというので寿命が伸びるとかあるのかもしれないが、特に何も語られない。

街を出た主人公は郊外の荒れ地の保安官と一緒に、手がかりを追って、ファミリアの集落にやってくる。ファミリアの集落に主人公プリーストは驚く。保安官は自分からなりたがる奴もいるんだよと、ここら辺じゃ当たり前の感じの返事。
ヴァンパイアが全滅しているはずのに、ファミリアがいるのは当たり前みたいな話は、なんか咬み合わない。

そして主人公プリーストは色々調査しているうちに、ヴァンパイアの計画を知る。実は冒頭に死んだと思われてた戦友プリーストは生きていいて、クィーンに血をもらい特別なヴァンパイアになっていた。そして戦友は列車にヴァンパイアを満載して街に突っ込む計画をたてた。主人公プリーストの兄夫婦を襲ったのは主人公プリーストを街から引き離すためだ。結局は主人公プリーストが列車乗り込み娘を救出して、列車が破壊する。
そして主人公プリーストは教会のトップの老人のところに乗り込み、ヴァンパイアの首を見せて戦争は終わっていないと告げる。しかしトップの老人はまだ否定する。そして主人公プリーストは仲間とともに新たな戦いを始めるところで映画は終わる。

またおかしいのが主人公プリーストが計画を知った時点で教会に連絡を取ろうともしない、近未来で装備はすごいので通信できそうな感じなのだが。

全体的にチグハグしている。こう変えたらどうだろうか。
冒頭、一方的に逃げるのではなく、主人公プリースト達は敵地に乗り込みクィーンを倒し戦争を終結させる。その際、戦友プリーストが谷底に落ちるかなんかして行方不明になる。だが、殺したクィーンは影武者で本物のクィーンは生きている。戦況が不利になったので一旦全滅したことにし地下で力を蓄えるためだ。
主人公プリーストたちは教会に力を恐れられ部隊は解散し、教会内で飼い殺しにされている。
だが主人公はクィーンの死に疑問を持っており、調査をするべきだと教会のトップの老人に主張している。だが主人公プリーストはトップの老人から「お前は戦争がしたいだけだ!」とか言われ教会内で孤立している。
トップの老人は実はクィーンが生きているのを知っている、不老不死を得たいためにそのトップの老人はクィーンと取引したのだ。だからヴァンパイアが生きている主張をずっと否定している。
この後の流れは映画と同じでいい、そしてヴァンパイアの計画を知ったあと教会に連絡しても握りつぶされる、計画を阻止後、主人公プリーストはトップの裏切りを知り、トップの老人のところに乗り込み、全てをぶちまける。
これでだいぶ矛盾がなくなるとおもうのだがどうだろうか。

ランパート



エルロイが脚本してるので、人間関係がエグい。姉妹と両方付き合って子供を作って共同生活。
最後、さんざんやって家族から捨てられ、ブチ切れそうでぶち切れない、抜身の刀のような危うい空気はウディ・ハレルソン、流石。

2014/05/24

プリンセストヨトミ


Huluで何となく観た。酷い酷いとは聞いていたが本当にひどかった。

さらば友よ


ラストシーンを観た時、真剣でぶった斬られたような衝撃を受けた。
ラストシーンに向けて積み重なったものが全部一気に射精したような気持ちよさのラストシーン。気持ちいい。あのタバコのシーンのためだけにそこまでのシーンがあった。これが映画だよね。

 

レッド・ドーン



アメリカがロシアに後押しされた北朝鮮軍に占領され、ある兄弟が仲間とともにゲリラ戦を開始する
、という物語。
冒頭はテンポが良い。手早く北朝鮮の脅威と主なキャラクターの説明を行い、あっという間に北朝鮮に支配される。アクションもテンポが良く観てる間、退屈はしない。退屈はしない。
だが内容は薄い。登場人物も主人公の兄弟の以外かなりサラッとした描き方。掘り下げない。掘り下げない。
例えば、仲間の占領された市の市長の息子。市長は占領後、北朝鮮側に協力する人間になり、親子で敵同士となる。だがその事に触れられるのはほんの一瞬。主人公の兄弟の兄に「大丈夫か?」と言われるだけ。それでこのエピソードは終了。その上、最後は仲間に見捨てられることになるのだが、そこもサラッとで、登場人物というよりモノのような扱い。
また主人公の兄弟の兄貴はイラク帰りの海兵隊で、戦いを始める前に仲間にこう言う。
「俺達はイラクでは正義の味方だった、今度は暴れてやろ」
今、アメリカも含め世界中のほとんどの人間が、イラクでやってることを単純に”正義の味方”とは思っていないだろう。これを観た観客の多くは「えっ?」と思うはずだ。
普通ならこれは伏線で、この海兵隊の兄貴がゲリラ戦を通して、イラクのゲリラの心情をなんとなくでも理解してという展開でもあるのかと思ったが何もない。
制作者が本当に心のそこから思っているのは問題ない。が、制作者も多くの人がイラクのアメリカの正義に疑問を持っていることは知っているはずだ。このセリフに対して特に深く描く気がないなら”俺達はイラクでは正義の味方だった”という部分はいらない。ただ観客が気になる雑音になるだけだ。
最後に民衆が一斉蜂起&演説でエンディング。アクションと演説で反射神経的にその場では何となく感動はするが、ここまで何も積み上がったものがないので、薄い。というか何もない。退屈しないだけの映画だ。

2014/05/20

トーナメント


雑な映画。
殺し屋がバトル・ロワイアル形式で殺しあうので、トーナメントという題名がおかしい。
最後にどんでん返しを狙ったような展開があるが、大してひっくり返ってない。
ロバート・カーライルの無駄遣い。

ゲット・バック


いつものニコラス・ケイジのアクション映画。そこそこ退屈しないが特に何もない映画。

アイアン・スカイ


観る前はタダの悪乗りB級SFかと思っていたが、意外に政治的な随所に皮肉が込められていて、本当の意味で面白かった。
ナチスに対する皮肉もだが、特にアメリカに対しての皮肉も多く良かった。お気に入りは『アメリカがマトモに勝ったことがあるのはナチスだけ』
主人公二人のインパクト、物語、行動の動機とかイマイチあやふやなので、物語がグイグイ進む感があまりない。

2014/05/18

ブラック・サンデー


全裸の女を撃ち殺すのは難しい。
スーパーボウルを飛行船に付けたC4とベアリングで襲うという、規模の大きいテロなのにテロリストはたった二人。男と女。テロの手作り感が凄い。地道すぎて応援したくなる。面白い。

ザ・ドライバー



ドライバー、刑事、プレイヤー。少ないセリフに最後のあっけない結末、リアルなカークション。
最高だ。

2014/05/17

羊たちの沈黙


 何年かぶりに観た。25年以上前の子供の時に一度観ただけだ。 映画は3つに別けられる。ひとつは一度観ただけでも色々なシーンや物語を覚えている作品、もうひとつは観たことは覚えているがシーンや物語はほとんど覚えていない作品、最後は観たことすら忘れてしまう作品。羊たちの沈黙は私にとってはひとつめの映画で、ほとんどの重要なシーンと物語を記憶していた。少年の私が感じたのは人生で一番面白く、かつ恐ろしい映画だった。 その恐ろしさはシーンの一つの記憶を書き換えていた。バッファロー・ビルが女装してダンスする自分を撮影しているシーン。私は女装プラスあの殺した女の革で作った服を着ていると記憶していたが、ただ単に女装していただけだった。また昔ビデオで観た時は股間にモザイクがかかっていたが、Blu-rayにはモザイクがなく、バッファロー・ビルが自分のナニを股に挟んでいるのが分かった、これはバッファロー・ビルを知る上で重要なところだ。 何十年ぶりに見ると恐怖は薄れていた。私がすでに少年ではないという事と、羊たちの沈黙以降このようなジャンルの映画が大量に作られ慣れたからだろう。公開当時、羊たちの沈黙のジャンルはホラーだったが、今ではサスペンスだ。 今改めて観ると、初めて観た時ほどの面白さと恐怖は感じなかった。もし私が20才くらいで初めてこの映画を観たとしたら、昔にしてはよく出来た映画程度の感想しかなかったろう。 だが重要なのは、ここから始まったということだ。プロファイリングから始まって、主人公が監禁されている囚人にヒントを貰いに行く、凶悪犯にマスクをつけて拘束する、上げればきりがないほど。 それともう一つ思い出したのは、ジョディ・フォスターの美しさだ。あんなに美しかったとは。あれは説得力だ。